こんにちは、mochiです。
今記事では、
「大学院を修了したのに、なぜ私は大手の研究職やアカデミアではなく町工場の品質管理職を選んだのか」について書いていきます。
私は就職活動の時点で、もう大企業は選択肢から外れていました。受けていたのは地方の、社員数300人くらいの小さな会社ばかりです。
mochio「大学院まで行ったのに、なんで研究職を目指さなかったの?」
そう思う方もいるかもしれません。
そこでこの記事は、就職先選びについて考えている人、特に「大学院に進んだんだから研究職に就かなきゃいけない」という考えにとらわれている人に対して、そんなことないよ。私を見てごらん!って感じで書いています。
- 大学院まで進んだら研究職に就くべきだと思い込んでいる人
- 学歴と実際の職業選択にギャップがあって悩んでいる人
- 「安定して働ける環境」を優先したいけど、なんとなく後ろめたさを感じている人
それでは本文。
本当にしんどかった大学院での研究生活


まずなぜ町工場の品質管理を選んだかを語る前に、前情報として、大学院時代について振り返ります。
大学院時代、しんどいと感じることは何度もありました。
その中でも特に大きかったのが、拘束時間の長さと、教授との相性の悪さです。
拘束時間の長さ
研究というと、実験をしている時間だけをイメージされる方も多いかもしれません。
ですが実際は、研究計画を立てたり、報告書や論文を書いたり、週に1回ある発表会の準備をしたりと、実験以外に付随する作業がかなりの量ありました。
さらに実験機器は研究室に1台しかなく、みんなで取り合いになります。
そのため、アルバイトが終わった夜12時から機器を動かす、なんてこともありました。
一応コアタイムというものはありましたが、それ以外の時間も研究室で過ごすことの方が多かったように思います。
mochioさん。1日って何時間あるか知ってます?24時間ですよ!
↑これは後輩に実際に言われた言葉です。
余談ですが、入社後も一時的に研究職についていた時期がありました。
そのときも「1日中会社にいるわけではないけれど、1日中頭の中に研究のことがよぎる」という感覚があって、この感覚は学生時代とあまり変わらないなと感じたのを覚えています。
教授との相性の悪さ
大学の教授というのは、一つのことを突き詰めてきた人たちばかりです。
その分、学生の教育そのものにはあまり力を割いていない、という印象を持つことが多くありました。
「なんでできないのか」というスタンスから話が始まることが多く、そもそもの目線の違いから、話が噛み合わないというつらさがありました。
特に大変だったのが、研究報告の場です。
20人ほどが見ている前で、1時間ほど詰められることが、2ヶ月に1回くらいのペースでありました。
終わった後は、泣くこともできないくらいボロボロに落ち込むことも多かったです。
ただこれは、自分の研究室に限った話ではなく、どこの研究室でもよくあることなのかもしれません。
今思い返しても胃が痛くなります。
あの頃の自分、よく耐えていたなと思います。
修士課程修了後はアカデミアに残るという選択肢を除外した理由


大学院修了後は、アカデミアに残るという選択肢は、私の中には全く残っていませんでした。
そもそも修士まで進んだこと自体が、今振り返ると疑問に思えるくらいです。学部で就職してもよかったのではないか、と思うくらいメンタルがすり減っていました。
教授からは「研究室の頭数を増やしたい」という思惑もあってか、一人ひとりに「残らないか」と声をかけられることはありました。
ですが、私にはもちろん残るつもりは全くありませんでした。
アカデミアの人たちとは、そもそも会話がうまく噛み合わない感覚がありました。見ている景色が違うというか。
残る必要性を感じなかった、というのが正直なところです。



頭数要員としてスカウトされても、正直あまり嬉しくなかったです。
「新しいアイデアを出す」より「淡々とこなす」方が向いていた
そもそも学生時代から、自分でテーマを考えて、それに沿って研究を進めていくというやり方が、あまり自分に合っていませんでした。
大学院の研究というのは、既存の知識を身につけた上で、そこから新しいアイデアや考えを生み出していくことが求められます。
この方針自体が、まず自分には合っていなかったんです。
それよりも、決まった手順を淡々と繰り返す実験をして、どうやったら効率よく進められるか、どうやったら確実に進められるかを考える方が、私は好きでした。
研究そのものというより、この違和感が大きかったように思います。
だからこそ、品質管理のような、決まった実験メニューやルーティンを扱う職種に就きたいと思うようになりました。
「0から1を生み出す」より「1を確実に10にする」方が、性に合っていたんだと思います。
大企業の開発・研究職という選択肢を除外した理由


大企業研究員とやり取りする中で見えた圧倒的「レベル感」
学部生の頃、私の研究室は超大手企業の研究者とやり取りする機会がありました。
私の研究についても、アシストしてもらったことがあります。
実験結果をメールで送ると、3分ほどで結果や考察についての返信が来て、次はこうした方がいいんじゃないか、というアイデアがどんどん出てくる。
そのスピード感とレベルの高さを目の当たりにして、「こんな人たちと一緒に働かなければいけないのか」というプレッシャーを感じました。
大企業に対する憧れはありました。ですが、そういう人たちと一緒に働くのは、多分自分には持たないだろうと感じたので、大企業の開発・研究職という選択肢は除外しました。



3分で結果と考察が返ってくる世界、私だったら3日かけても怪しいです。
専門特化型のキャリアが飽き性の自分には合わないと感じた
大企業では、一つのことをどんどん突き詰めていく専門特化型のキャリアになることが多いと思います。
これが、私には合わないと感じていました。
1年もやったら、他のことに目移りしてしまうんじゃないか。そんな自己分析もありました。
実際に大企業にいた人に話を聞いてみても、何十年も同じ作業を続けることになる、と聞かされました。
それよりも、もっと幅広く裁量のある仕事に就きたいと思い、大企業のキャリアは除外することにしました。



かっこいい理由ばかり並べましたが、そもそも受かるかどうかも怪しかったというのも、あります。
落ちる可能性が高いところを時間かけて受けることに対する忌避感はありました。
工場就職の決め手は「心の安定」を最優先にした


ここまで、大企業もアカデミアも除外してきた理由を書いてきました。
では、なぜ町工場だったのか。
心の安定を最優先に考えたとき、まず重要視したのが人間関係でした。
自分は人間関係で苦労するタイプだろうという自覚があったので、就職活動では「高圧的な人がいないか」「優しい人がいるか」を軸にしていました。
これは、研究室で「目線が合わない」「話が噛み合わない」という経験をしてきたからこそ、辿り着いた軸だったように思います。
同じ目線で物事を話せる人がいるかどうか、この人と一緒に働いたら楽しいだろうか。そういうところも、意識して見るようにしていました。
ありがたいことに、就職活動中は工場見学をさせてもらえる会社も多くありました。
そこで見えてくるのは、意外と会社の「素」の部分です。
挨拶をしても素っ気ない反応をされたり、無視されたりする会社もあれば、社員さんの方から笑顔で挨拶してくれる会社もありました。
そうした社内の雰囲気を、注意深く見るようにしていました。



工場見学が実は一番の面接だったのかもしれません。
逃避ではなく前向きな選択
仕事内容についても、自分のできる範囲を着実にこなせるものを求めていました。
かといって、成長できないのは嫌だったので、たまに成長できる環境が整っていればいいくらいの温度感で、無理はしないという方針にしていました。
こうした軸で探した結果、辿り着いたのが町工場でした。
大企業やアカデミアを「諦めた」というより、自分にとって心が安定する環境を「選び取った」という感覚の方が近いです。
派手さはないけど、これが自分にとっての正解だったなと、今振り返っても思います。
まとめ:学歴や専門性より「安定して淡々と働ける環境」を選んだ


結果として、町工場での4年間は、人に恵まれて楽しく働くことができました。
心の安定を最優先にして選んだ環境は、間違っていなかったと思います。
ただ、その後「正当に評価されていない」という実感が湧いたことと、結婚を機に環境を変えたいと思ったことから、転職という道を選ぶことになります。
(この転職先で、私は適応障害になってしまうのですが。その話はまた別の記事で詳しく書こうと思います。)
学歴や専門性で選択肢を絞るのではなく、「自分が安定して淡々と働ける環境かどうか」を軸にしたこと。
この軸は、就職活動のときも、転職を繰り返した今も、実はずっと変わっていません。
あの頃の選択は、遠回りだったのかもしれないし、正解だったのかもしれません。ただ、逃げではなく前向きに選んだという事実だけは、今でも胸を張って言えます。
結局、心の安定というテーマは、この後もずっと私についてまわることになります。
以上!mochioでした!









